● 新日吉神宮(いまひえじんぐう)
平安時代から2度の“引っ越し”を経験した、由緒正しき社
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||| 新日吉神宮について |||
後白河法皇が「法住寺殿」を造営し、厄除けのため、比叡山東坂本の「日吉山王七社」を勧請(神仏の分霊を他の場所に移し、祀ること)したのが始まり。社地は転々としており、当初は智積院南側に創建されたが、江戸時代になって豊国廟社が壊されたのと同時期に旧廟前に移った。さらに明治30年(1897年)に現在の場所に移っている。後白河法皇ほか、皇居守護神山王七柱を祭神として祀り、酒造、医薬、縁結びの神として信仰を集めている。
数多くの遺物や天皇の宸筆(直筆)を所蔵しているほか、江戸時代の歌人で国学者の小沢蘆庵をはじめ、多数の近世文学資料を「蘆庵文庫」の名で保存している。
5月の第2日曜に行われる「神幸祭」には、氏子を中心とした200名ほどの行列が見られる。6月30日の「夏越大祓」、10月16日「例大祭」、11月14日「御火焚祭」などの祭りでも親しまれる。
||| 新日吉神宮の歩き方 |||
ひそかに豊臣秀吉を祀った“隠れ太閤さん”の聖地
江戸時代には、豊臣家や秀吉に関するものはすべて壊され、禁止された。しかし京都での太閤さん人気は高く、秀吉を隠れて崇拝する人もいたという。まるで「隠れキリシタン」のように、密かに太閤さんを信仰する人々が集ったのが新日吉神宮だった。
境内にある「樹下社(このもとのやしろ)」は「豊国神社(ほうこくじんじゃ)」とも呼ばれる。この樹下社に、秀吉信仰をする人々が訪れた。かつて新日吉神宮が、豊国廟社の跡地に建っていたこと、樹下社の「樹下」と、豊臣秀吉の旧名・木下藤吉郎の「木下」が同じ“音”を持っていることが、理由のひとつ。
また新日吉神宮の神使いが「猿」なのも、“サル”と呼ばれた秀吉との接点か?
逃げないように金網に捕らえられた“狛猿”
新日吉神宮の本殿脇にいるのは、狛犬ならぬ「狛猿(こまさる)」。文字通り、猿の姿をした神様のお使いで、「魔が去る」とか、「何よりも勝る」との語呂合わせがあるといわれる。
一対の神猿は、なぜか捕らえられるように金網に入れられた姿だが、その理由は2つある。
ひとつは「神の使いが盗まれてしまわないように」。そしてもうひとつは「猿たちが夜な夜な動き出すのを防ぐため」。狛猿を見ながら、金網の中で動き出す姿を想像すると楽しい気持ちになれるかも。
安土桃山、江戸…… 京都の街を見つめ続ける銘木
本殿の裏手には、京都市指定保存樹に指定されている「スダジイ(ブナ科シイ属の常緑広葉樹)」が生えている。
成長の遅い木であるため、幹周(幹の太さ)は約4mほどだが、実は樹齢は500〜800年。今なお成長しているスダジイは、秀吉や徳川の時代から現代までをずっと見つめ続けてきたという。
新日吉神宮が現在の場所に移築されたときには、すでに立派に成長していたことになるため、木を避けるように建築した“自然に優しい”神社なのかもしれない。
||| 基本情報・アクセス |||
新日吉神宮(いまひえじんぐう)
075-561-3769
京都市東山区東山七条東入ル
拝観時間 境内自由
拝観料 なし
駐車場 可